これまたお待たせしました。土ころびさんの短編より、「夫婦桜」の批評です。
いい話、これにつきますね。(^^)
長編はまだ連載まもない「青の天外」ぐらいしか読んでないのでなんともいえないのですが、土ころびさんの短編ってクォリティが高いですね。どれも味のあるいい作品ばかりなので、辛口批評をはじめたのを少し後悔していたり。(^^;;)
「掴む手」だけは個人的に評価が低いのですけどね。
ただ、いい話を書いているだけに細かいところがどうも目に付いてしまいます。ちょっと勿体ない。
例によって気になる点は後の楽しみに取っておくとして(外道かお前は(笑))、まずは良かった点。
何度も繰り返しますが、いい話でした。おうめと吉衛門の想いが心にしみるような作品ですね。静かに流れる語り口が逆に二人の心を浮き上がらせていくようで、実にいい。
特に印象に残ったのは、おうめが死の間際に約束をせがむシーン。あそこいいです。
この手の批評を書く時に怖いのが文章の技術論につい偏りがちな事ですが(私も最近偏ってそうで非常に怖いのです。(^^;) )、やっぱり一番大事なのは素材ですよね。まず素材ありき。元が悪かったら話にならない。
土ころびさんの作品は、その素材がいい。夫婦桜を読んでいると、ほんとそう思います。
さて、本題(まて)。今回はいろいろ気になる点がありました。
冒頭、吉衛門の名前を挙げてから桜の話に移って、そして吉衛門の話がはじまるのですが、話の順序があまりよくないですね。桜の話→吉衛門の話、とした方がシンプルになって流れがよくなります。
おうめの話をしているところ(おうめは特に器量よしではなかったが〜)、同じ段落の最後に「順風満帆な人生だろ
う。長年寄り添った、おうめが亡くなるまでは。」という文があります。
これ、吉衛門の事ですよね。同じ段落中で突然主視点が変わるのはわかりにくくなる原因です。
時間がポンポン変わるのも考え物です。「あれから三十余年ほどがたった。」と書いたすぐあとに、おうめが死ぬ直前の話になったり、そのすぐ後に結婚直後の話になったりする。構成の問題だと思います。
構成っていうのは書きながら考えてもいいですし、書き上げてから変えてもいいんです。一旦書き上げたあとに構成を変えようとすると大幅に書き直さなければいけませんが、いいものを生み出すためなら思い切って壊してしまう事も必要ですよ。
最後に細かいところ。「樹の根元に小さくも新芽が芽吹いているのを誰か が見つけた。」ですけど、この「誰かがみつけた」は削った方がいいと思います。「誰か」なんて、いらないんですよ。「誰か」なんてキャラクターを作るぐらいだったら老僕が見つけた事にした方がよっぽど良かった。
あと、以前チャットで誤字をいくつか指摘していたのですが、まだ残っていました。(^^;) 見落としです。(^^;)
枯れた木を掘りお越し→枯れた木を掘り起こし
2004/08/21 追記
もう一つ誤字がありました。(^^;)
「樹の根元に小さくも新芽が芽吹いているのを誰かがが見つけた。」
で、全くの余談なんですが、これなんで伊予国が舞台になったんでしょう?
あ、良い悪いの話ではないです、念のため。なんとなく興味がわいたので。
……今回は我ながら少々手厳しい事を書いたような。(^^;;;) いい作品なのでついつい手に力が入ったようです。A^^;;;) はて、こんな批評でも(以下省略)。
なにはともあれ、次回作期待しております。(^^)/
例によって追伸。この批評を読まれた方へ。この批評に対する批評もご自由にどうぞ。